定型は大切

最近はドラマとかほとんど見ないんですけど、思えば昔はホームドラマとか面白いのがたくさんあったように思います。ときどきテレビでドラマを観ると、奇を衒ったようなものが多くて、なんだか大味だなあと思うことが多いです。

 

その理由の一つは、社会が多様化して「型」がなくなっていることなんじゃないか、と思うのです。

型にはまった挨拶言葉、型にはまった人付き合いの作法、家族のあり方・・・昔は大体同じような価値観でそりゃ窮屈なこともあったに違いないんですが、「型」というものがガチっと決まってると、そこから少しだけずらすだけでいろんなことが表現できて、むしろその方が豊かな表現が可能だったんじゃないでしょうか?

 

学生服があるから、ズボンの太さを太くしたり上着の丈を長くしたり短くしたりするだけで、「ワル」を表現できたりするのも同じようなものですかね?違う?

 

音楽、特にラテン音楽はテンポは基本一定でリズムの正確さを極めれば極めるほど、そこからのわずかな揺らぎでグルーブを表現できるのです。リズムがばらつくと微妙なニュアンスはノイズの中に埋没してしまうからです。これもなんだか似てる。

素人ほど、ずれを大きくして大げさに表現しようとするけど、名人はむしろメトロノームのように正確なところを目指そうとしてる。

 

純歯科医院ではスタッフの人たちが言葉遣いの研修を受けたりしています。きちんと心を表現するためには正しい言葉遣いを覚えることが大切で、そこから少しずらすことで、豊かな心遣いを表現できるのではないかと考えています。