方言

私の両親は和歌山県の出身ですが、父の仕事の関係で、子どもの頃は高校卒業まで岡山で過ごしました。

岡山弁というのは、端的に言うと、語尾に「〜じゃ」がつく言葉であります。
幼児の頃、近所の子どもたちに影響されて、じゃあじゃあ言い始めたら「そんな汚い言葉やめなさい」と母にいわれたこともあります。
 そうはいっても外は皆岡山弁ですから和歌山弁の両親に育てられつつ岡山弁を話す子どもとして育ちました。

岡山弁の語尾は「〜じゃ」ですが、高校生の頃は岡山で標準語の「〜さぁ」を発する人にはかなりの違和感を持っていました。
 東京の美大に進学した先輩が教育実習生として戻ってきて、実習中に「〜さぁ」を連発したときには、軽く殺意を覚えたほどです。

でもテレビの影響か、東京進学を意識していたせいか、高校卒業前には自分でも時々「〜さぁ」を使っていたらしく、同級生に指摘されたこともありました。

村上龍さんの自伝的小説「69」(だつたかな)で主人公が長崎の高校生なのに標準語で話すところが少し似ていると感じてます。

そのような言語環境が人格形成にどのように影響するのかはわかりませんが、上京してから、東京弁に染まるのは、とても早かったです。
同級生からは地方出身とは思われなかったですから。

興味深いのは、先祖代々岡山という同級生のU君です。彼は上京しても全然岡山弁が抜けなかったのですが(別に抜けないのが悪いと思ってはいませんよ)、夏休みに岡山に帰省すると、岡山で「〜さぁ」を連発したのであります。 私は完璧な「〜じゃ」に戻りました。

ここから推論されることは、幼児期に固定的な方言環境にあるか、不安定な方言環境にあるかで、後々の方言対応能力に違いが出るのではなかろか、ということです。

そんな私はその後、愛知県で5年、大阪府で10年、滋賀にきて2年半になりますが、なーんとなくそれぞれの方言のイントネーションに影響された標準語を話しているようです。
 
時々東京の友達に合うと、「うわっ、めっちゃ東京弁やん」と内心思いつつ少し東京イントネーションにチューニングします。
関西で、ディープな関西弁の人とご一緒すると、そちらの方に引っ張られます。
キャラも言葉によって少しシフトするのが面白いです。

でも、非関西人が無理に話す関西弁ほど気持ち悪いものもないと思っているので、無理にならないようにはしてます。

お手本は関西ローカルのテレビ局のアナウンサーの方がワイドショーなんかで話すあの感じなんですけど、どうでしょうか。でもあの人たちは元々プライベートでは関西弁でやってて、仕事では標準語を喋ってて、そこから滲み出るイントネーションなので、成り立ちが違うんですけどね。